空気にも味がある
2007年05月20日 海外
「空気みたいな存在」。
そう言われるとき、それは人畜無害だとか、いても気にならないだとか、存在していて当たり前だとか、そういうあまり目立たない存在を表すことが多いと思います。
空気に慣れすぎてしまって、空気そのものの存在自体を忘れてしまいがちです。
空気にも味があるということになかなか気付けません。
そう言われるとき、それは人畜無害だとか、いても気にならないだとか、存在していて当たり前だとか、そういうあまり目立たない存在を表すことが多いと思います。
空気に慣れすぎてしまって、空気そのものの存在自体を忘れてしまいがちです。
空気にも味があるということになかなか気付けません。
一昨年北海道に行ったとき、はじめて降り立った北海道の地で、空気の違いを感じました。
「空気がきれいだなぁ、すがすがしいなぁ、景色がきれいだなぁ」
新千歳空港から離れて、もっともっと広大な自然を味わっていると、より北海道の空気の素晴らしさがわかってきました。
3日も北海道にいると、なんだかそこから離れてしまうのが悲しいような、ずっとそこにいたいような、そんな気分になりました。
世界遺産知床などを見学して札幌に戻ってくると、少し空気も汚れていて、空気はこんなにも汚れやすいのだな、と気付きました。
でも空気の味に本当に驚いたのは、飛行機に乗って、羽田空港に戻ってきてからです。
「えっ、臭っ!空気が濁ってる!ベタベタしてる!遠くまでよく見えない!」
今まで当たり前だと思っていた東京の空気は、信じられないほどの汚さでした。
澄んでいてきれいな北海道の空気を味わった後では、東京の空気に触れているだけでストレスがたまりそうでした。
東京から北海道へ行ったときよりも、北海道から東京に戻ってきたときの方がショックがはるかに大きかったのです。
国の周りを全部海で囲まれていて、遠く東洋に位置する日本に来た外国人にとって、この空気の汚さはショックなのではないかと、その時は思いました。
羽田空港から、住み慣れた神奈川の自宅まで戻ってくると、東京よりはもう少し心地の良い空気に感じました。
ほんの数十km程度離れているだけでも、ずいぶん空気は変わるのだな、と思いました。
その一年後、成田空港から、遠くエジプトのカイロ空港まで行きました。
日本にいては、エジプトの空気は全く予想できませんから、是非とも行ってみたかったのです。
「砂っぽい!排気ガス臭い!晴れてるのに曇ってる!香水臭い!」
カイロは車の台数も多く排気ガスが汚くて、香水を付けている人も多く、東京とはまた違った臭さ、東京以上の臭さでした。
その後、エジプトからトルコにも行きました。
イスタンブールではカイロのような臭さはなく、海も近くて、地元神奈川を少しだけ思いました。
都会のイスタンブールから離れ、カッパドキアなどへ行くと、そこでは今まで見たこともないような自然がありました。
手を伸ばせば青空に届いてしまいそうなほど、空が近くに感じられました。
その後、またカイロへ戻りました。
最初に行ったときとは空気の味、臭い、手触りが違いました。
現地の人に聞いたところ、珍しく前日に雨が降ったそうです。
今まで舞っていた砂埃が落ち、最初に訪れたときとはまた違う印象を持ちました。
一雨降るか降らないかでも、空気の味は変わってしまうのです。
カイロを離れ、アレクサンドリアにも行きました。
エジプトというと砂漠のイメージが強く、海に面している国でもあるということをすっかり忘れていました。
エジプトからも地中海が見え、そこには豊富な魚介類も生息しています。
アレクサンドリアの空気は、初めてエジプトに着いたときに味わったあの空気とは全然違うものでした。
長いフライトを終え、成田空港に戻ってくると、懐かしい日本の空気を味わえました。
羽田空港と違って、成田空港近辺の方が空気が澄んでいて、外国からやってきても特に違和感は感じませんでした。
むしろ外国よりも空気が潤っていて、肌に良さそうだとさえ感じました。
電車で神奈川の自宅まで戻ってくると、またいつもの慣れた空気に触れることができて、なんだか安心しました。
「空気みたいな存在」、その空気にもいろいろ味があるのだな、と思いました。