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CEO界隈における「クソジーコ問題」という間違ったジーコ認識

2014年04月04日 スポーツ
CEO界隈では、なぜか「クソジーコ問題」という言葉が流行っています。ここで言われる「ジーコ」とは、昔ブラジル代表で活躍し、Jリーグでは鹿島アントラーズ(住友金属時代から)の一員としてプレイした天才サッカー選手ジーコのことです。後に、サッカー日本代表の監督として、日本チームを率いました。

選手時代のジーコについては、プレイがクソだったということは全くなく、世界中から崇拝され、日本では「サッカーの神様」とも呼ばれるほどの存在でした。現役時代にクソだったのは、ジーコサッカーというジーコ監修のスーファミ用ゲームがクソゲーだったことくらいです。ただ、当のジーコ本人は「Zico: The Official Game」について,“サッカーの神様”ジーコ氏に聞く。人生・技術が凝縮された初めての“私のゲーム” - 4Gamer.netの中で、
そういった作品はあくまでプロモーションなどに少し協力しているだけで,“私のゲーム”ではないんです。
と語っているように、「ジーコ監修」という表現は大げさで、本人にとっては「私のゲームではない」ということのようです。

では、なぜ「クソジーコ」と呼ばれてしまったのか。それは、サッカー日本代表の監督として、ワールドカップで結果を残せなかったからではないでしょうか。一応、ジーコジャパンとしてワールドカップ進出は果たし、最低限の仕事はしましたが。


一体なぜCEO界隈で、「クソジーコ問題」などという言葉が流行っているのか。問題を解く鍵は下記二つの記事にあります。
(優秀な) プレイヤーが監督 = マネジャーになった時に発生する問題について今日は書いてみたいと思います。
最近同じフェーズの経営者と話をしていると、既に彼らはプレイヤーとして仕事をしていない。巷では社員が10人程度になりながら、まだCEOがプレイヤーであることを「クソジーコ問題」と呼んでいる。

CEO界隈ではなぜか、「監督(CEO)が現場のプレイヤーとして働いてしまう」ことを「クソジーコ問題」と呼んでいるようです。監督は監督としての仕事を全うすべきで、プレイヤーとして働くのは良くない、という意味のことを「クソジーコ問題」という言葉で表現しているようです。



実際に、ジーコが日本代表監督時代のときの行動を思い返してみると…?


いやいや、ジーコ監督は日本代表の一員として前に出てプレイはしていません。むしろ一緒にプレイしてくれたら、メンバーは歓喜です。

ジーコ監督の監督業というのは、監督自ら現場にしゃしゃり出て、現役プレイヤーの不満を買い、和を乱すようなものではありません。自分から見たジーコ監督評は以下の通りです。
強い選手を集める。

戦術はほとんどない。

プロフェッショナルな選手たちを尊重して、自由にやらせる。

どんな相手だろうと、勝ったら良いゲーム。メンバーは変えない。

どんな相手だろうと、負けたら悪いゲーム。メンバー一掃もあり得る。
これがジーコ監督のやり方に見えていました(これだって、一個人の一つの見え方でしかありません)。勝っている間はメンバーを変えないという、ブラジル式のやり方をジーコ監督は日本に持ち込みました。このやり方が日本にとって不運だったのは、「日本の予選大会は相手が弱い」ということです。相手の弱い予選大会では、たいした戦術がなくても個々の選手の実力差で勝ててしまうことも多く、チームとしての問題に気付くのが遅れてしまいます。一方ブラジルはというと、予選大会からアルゼンチンやコロンビアなど、対戦相手に強豪国がひしめいていて、予選で結果を出せれば本選でも強い、ということになります。日本の場合、予選大会の相手が弱く、予選期間中に問題点を洗い出して本大会までに解決しておかないと、本大会で惨敗もあり得る、ということになります。

ジーコが監督としてクソかどうかを語るのは意外と難しく、「W杯本番で惨敗したからクソだ」と結論づけるのは難しいものがあります。実際に、予選を突破してW杯まで日本代表を導いた手腕はあります。本選では不運にも強豪ブラジルと同じグループに入ってしまい、オーストラリアにも負けて、グループリーグ敗退という成績です。ブラジルと同じグループに入ってのグループリーグ突破は、そんな簡単なことではありません。ジーコの日本代表監督時代ではなく鹿島アントラーズ時代を見るのであれば、プレイヤーとして一流でありながらチームに規律やプロ意識を植え付けるほどの指導力を発揮していますから、これもクソジーコとは呼べません。Jリーグを発展させた立役者とも言える人です。


ということで、CEO界隈にはびこる「クソジーコ問題」は、監督が現場にしゃしゃり出ることを指し示している言葉のようですが、実際のジーコ監督はそんなことをしていません。むしろ現場のプレイヤーを尊重して、自由にやらせるタイプです。

CEO界隈における「クソジーコ問題」とは、W杯で惨敗したことによるジーコの風評被害なのではないでしょうか。監督が現場にしゃしゃり出ることを表現するのに、ジーコの名前を使うのは不適切です。ジーコという人の認識が間違っています。ネーミングを変えた方が良いです。