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人間失格を読んで

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2008年09月03日 カテゴリ:読書
人間失格を読んで
        五年三組 増田増男
 僕が「人間失格」を読んだきっかけは、この本の表紙が小畑健さんのイラストだったからです。デスノート小説版の新作が発売されたのかと思い、間違えて買ってしまいました。だまされた気分になり、読みもせず、そのままずっと本棚に放置していました。五年生になり、ちょうど夏休みの読書感想文の課題図書として指定されたのを機に、人間失格を読むことにしました。
 人間失格を読んでみて、僕の心の中に衝撃が走りました。共感せずにはいられない作品だったからです。この小説は、人間として失格な人間の特徴を、こと細かに説明していました。たとえば、「部屋は汚いが、片付け始めるとトコトンやる」、「公の場では綺麗に使うよう心がける、友人の家も綺麗にする」、「熱しやすく冷めやすく、一度冷めたらどんなに中途半端でもヤ〜メタ」、「基本的に無気力だが、変な事には異常にこだわりを持つ」、「洗濯物はタンスに入れず、出かけるときは無造作に置いてある中からチョイス」、「家に帰ると即効で着ていたものを脱ぐ」、「夜中に昔の痛い自分を思い出してあああああああああとなる」、「人の悩み事は親身に聞くが自分の悩みは話さない」、「人情話に弱いが実際に人と接する場はあまり好まない」、「コンビニでお釣りの渡され方を妙に意識してしまう」、「寝てたわけじゃないのに、ごめん寝てたの言い訳を使うことがある」などです。僕に当てはまりすぎていてビックリしました。今まで自分が人間失格であるという自覚は全くなかったのに、ここまで正確に当てられては、自分のことを人間失格であると認識せざるを得ませんでした。僕は人間失格です。
 この本の作者、太宰治さんも小さい頃から人間失格であることを自覚し、人間に対する最後の求愛として道化を行っていました。そして中学校時代には、道化という自らの技術が見抜かれそうになることを恐怖し、酒や煙草や女に溺れるようになります。モルヒネにも手を出し、少しでも平常心を保とうとしました。なぜ平常心を保てなかったかというと、太宰治さんは人間失格だからです。人間失格な人間は、デスノートによって殺されてしまうのです。人間失格な人間は、この世に存在する価値がありません。生きていても無駄です。無駄な人間は殺してしまった方が良いという、新世界の神「夜神月」がデスノートを使って殺人を犯すのです。デスノートに名前を書かれた人間は、心臓麻痺によって殺されてしまいます。太宰治さんは夜神月に、デスノートに、殺されたくはなかったのです。少しでも人間として失格にならないよう、酒や煙草や女にも手を出しました。しかし、それでもダメでした。人間失格は何をしても人間失格でした。平常心を保つことはできず、モルヒネにも手を出しました。最後は結局、己の人間失格である部分を認め、自ら命を絶ちました。夜神月に殺されるくらいなら、自ら命を絶った方がマシだと思ったのでしょう。
 僕も太宰治さんと同じく、人間失格です。僕も自ら命を絶つしかないのでしょうか。それともデスノートで殺されるのを待つだけでしょうか。僕は死にたくありません。でも人間失格です。このままでは死んでしまいます。こんな人間失格が生きていけるような世界は、今後現れないのでしょうか。新世界となれば、人間失格でも生きていけるのでしょうか。それとも新世界には、人間失格など誰一人として存在しないのでしょうか。
 僕は死にたくありません。人間失格のままでいたくはありません。どうすれば人間失格ではなくなるのでしょうか。どうすれば人間失格から脱却できるのでしょうか。教えてください。このままでは僕は死んでしまいます。このままでは殺されてしまいます。人間失格は嫌です。もっと、もっと、もっとまともな人間に生まれてきたかったです。

詳しくは、こちらの記事をご覧ください。