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ブログはもう終わったのか

2008年05月05日 ブログ全般
「ブログ」はもう終わったのか。
読んでもつまらない 「ブログ」はもう終わったのか井上トシユキさんに聞く(上)
「一億総ブロガー」などと言われ、誰もが日記感覚で書く空前のブームが起きている中で、最近はブログを読むのがつまらなくなったとか、ブログなんか終わりだとか、そんな話を聞くようになった。その背景をITジャーナリストの井上トシユキさんに聞いた。
この中で、「日記感覚で書く空前のブーム」という表現に注目してみます。

アメリカ版Weblogの始まり

アメリカから始まったWeblogは、「Webに残すlog」として「9.11事件」の時に流行し始めました。
単なる論評や日記ではなく、メジャーメディアに対するゲリラメディア、あるいは草の根ジャーナリズムのツールとしてもブログは使えるね、と認識され発展していくわけです。
これがアメリカ版Weblogのイメージです。(と言っても、自分は海外のブログを多数読んでいるわけではないので、本当にこのようなブログが多いのかどうかは知りません)

日本版ブログの始まり

その後、アメリカの流行を追いかけるように日本でもブログが流行り始めました。「Weblog」が「blog」に縮まり、一般化するにつれ「blog」が「ブログ」へとカタカナ化されました。そして、レンタルブログサービスが一般人にナゾの単語「ブログ」を浸透させるため、日本語に置き換えて宣伝し始めました。
ブログはWeb上で書く日記のようなものです!
ブログはインターネットの日記です!
このように宣伝したことで、日本の一般人には「ブログ=Web上の日記」として広まりました。「日記感覚で書く空前のブーム」は、ここから始まっていたわけです。「アメリカ発のWeblog」と「日本発のブログ」では意味合いが異なっています。
システムを作っていた人たちは、おそらく「Weblog」と「ブログ」の違いを知っていたとは思いますが、「Weblogって何?」と疑問に思われ流行しないことを恐れて「blog=日記」として宣伝しました。

とあるITベンチャー企業の宣伝方法

ITベンチャー企業として名高い株式会社はてなは、blogが流行する前からWeb上の日記サービス「はてなダイアリー」を運営していました。このサービスは、名前のごとく「ダイアリー」だったわけですが、ブログの流行を受けて、気持ち悪いことを言い始めました。

はてなダイアリーはブログです

と。



「流行っているから、人気だから、宣伝したいから」という理由だけで、「ダイアリー=ブログ」と言って宣伝しました。このようなIT企業があるくらいですから、日本の一般人がアメリカ版Weblogを知らずに「ブログ=日記」だと思うのは当然のことでしょう。

はてなの近藤社長はこのように発言しています。
「国内でブログが流行しだしたので、宣伝効果を狙って“はてなダイアリーもブログです”と言ってはいるが、もともとブログとは関係ない、オリジナルのサービスとして始めた。ブログは一過性のブームだから、1、2数年後には沈静化し、いくつかのブログポータルがつぶれるような事態になるだろう。その時にも何事もなかったかのように涼しい顔をしてダイアリーを続けていたい」(近藤社長)。

自分の手でネットを“進化”させたい――「はてな」社長の夢
ブログブームが沈静したときのための逃げ道を残し、宣伝のために「ブログ」という名前を利用していました。

日本版ブログについて

以上のように、日本版ブログは「ブログ=Web上の日記」として広まっていきました。アメリカ版Weblogと違っていたとしても、それは文化の差と言って良いかもしれません。逆に、「ブログ=Web上の日記」だったからこそ、日本人になじみ「一億総ブロガー」などという単語が踊るほど人気が出たと言えます。誰でも書ける日記だったからこそ、日本ではブログが大流行しました。

したがって、
――「ブログはつまらない」という話をよく聞きます。

井上 日本のブログは「始まりから終わっていた」んです(笑)。
の「日本のブログは始まりから終わっていた」発言は、アメリカ版Weblogと比較した場合、確かに正しい部分があると言えます。でも、「ブログ=Web上の日記」という日本版ブログは、一般人にも受けて流行して始まったし、今も終わっているとは思いません。

日記は誰のためのもの?

Weblogを「ジャーナリズムツール」として考えた場合、他人に読んでもらい、考えを述べることが主になります。
では、ブログを「Web上の日記」として考えた場合はどうでしょうか?

もともと、日記は自分のために書いていた文化です。誰かに見せることなく、ひっそりと自分でその日のことを日記に綴っていたわけです。何度も読み返される日記もあれば、一度も読み返さることのない日記も存在しています。たとえ一度も読み返さなくても、大事なページがどこにあるかは自分でわかっているような、読み返すことより「書く」こと、つまりアウトプットすることが一番大事だからと日記を書いている人たちもいます。

日記を主に考えれば、日本版ブログが「読んでもつまらない」理由がわかります。「他人に読ませること」よりも「自分が書くこと」に重点を置いている人が増えれば増えるほど、「つまらない」ブログは増えます。自分のために書いていた日記がWebに移行し、ブログとなって「誰かに読まれる可能性」が増えただけだからです。

ブログのツールとしての可能性

日本版ブログは、日記としての利用が主です。日記としてのブログ「日本版ブログ」として使っている人のブログは、仲も良くない赤の他人が読んで面白いものではないかもしれません。

その一方で、アメリカ版Weblogとしての使い方をしたり、ブログをツールとして、今までにない形で利用している人たちがいます。一般的なブログツールは、時系列に新しい順に記事を投稿するのに適していて、次から次へと頻繁に記事を書くことに優れています。HTMLタグを知らなくても、簡単な操作で投稿できることも、ツールとしての価値を高めています。

例えば、ニュースサイト、まとめサイト、お知らせページ、写真ログ、お絵かきログとして利用されたり、企業のサイト作成にブログツールが導入されたりすることも多くなってきました。吉兆が作るとカレーもこんな風になるのね〜など、食べログとして活用されている方もいます。

どこからどこまでがブログで、どこからがブログでないかの判断も難しく、最近ではエビちゃんがブログをCanCam6月号で書いたことも話題となりました(もはやWebと関係ない)。

ブログはもう終わったのか

「ブログはもう終わったのか」の問いに答えるとすれば、
アメリカ版Weblogは、日本では確かに始まっていなかったかもしれない。でも日本では、日本版ブログが流行し、今なお形を変え発展し続けている
でどうでしょうか。

書くことが主で投稿するのが楽しいブログが日本版ブログなら、ニュースサイトやまとめサイトとして利用されていて読むのが面白いブログも日本版ブログだと思います。