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増田に投稿してみてわかったこと

2007年08月10日 はてな
はてなには、はてな匿名ダイアリーという「名前を隠して楽しく日記」を書けるサービスがある。
はてな匿名ダイアリー → はてなAnonymousDiary → はてなアノニ「マスダ」イアリー → 増田と略され、ユーザーから増田と呼ばれている気持ち悪いサービスだ。気持ち悪いと言っても、世間一般で「気持ち悪い」と言われているわけではなく、ただ個人的にそういう過程を経て増田という俗称で呼ばれているのを見て、気持ち悪いと感じているだけだ。

この増田と呼ばれる「匿名ダイアリー」に、日記を投稿してみたことがある。インターネットのごくごく片隅で流行っているこの匿名ダイアリーに、自分も投稿してみたくなったのだ。今まで匿名で日記を書いたことはないし、匿名で書いた日記が周りからどのような反応を得られるのか興味があった。もちろん、「匿名」と言ってもはてなのシステム的には投稿ユーザーIDはばれているし、それほどいかがわしいものではない。今現在ここで書いているブログだって、実名を出していない時点で匿名と何ら変わりない。あるのは、「多分同じ人がずっと書き続けているのだろう」という信頼だけだ。

さて、増田に投稿してみようと考えたときに、まず最初に見たのは「ヘルプページ」だ。増田のことは詳しく知らなかったし、ルールは守るタイプだから、使い方を覚えておこうと思ったのだ。ヘルプページを見て驚いた。あまりにもルールが少なすぎるのだ。「こんなにも少ないルールの中で日記が書かれ続けていたのか!」と驚いたし、これだけのルールだけでも運営できてしまうはてなユーザーのネットリテラシーの高さを感じた。

実はこの「ネットリテラシー」という言葉が大嫌いだ。誰だって最初はリテラシーが低いに決まっている。初めからうまくごはんを食べられたのか、初めからうまく走れたのか、初めからうまく字が書けたのか、初めからうまくコンピュータが扱えたのか、初めからうまくインターネットが使えたのか。初めから何でもうまくいく人間なんていない。ネットリテラシーという言葉を人が使うとき、それは相手のことを見下してバカにするときだ。自分が気に入らない行動を取った人間を見つけては、ネットリテラシーが低いせいだと罵り、排除しようとする。お前は初めからネットリテラシーが高かったのか?ネットリテラシーが低いと感じたのなら、相手がうまく学べるように誘導してあげるべきではないのか。なぜ頭から排除しようとする。そういう人間こそが本当にネットリテラシーが低い人間だ。初心者を相手に、自分が優位に立ったつもりで相手を卑下する。本当に最低の人間だ。

そんなことを考えながら、増田に投稿することにした。ルールが少ない以上、そのルールに従うのが当然だ。なぜなら「ルールは守るタイプ」だからだ。ルールさえ守っていれば何をしても良い。法の穴を突くようなことをしたって、それは法を作った人間が悪い。法が間違っているのなら法を変えればいい。それじゃ、どこかの社長やファンドだな、などと思いつつも、増田に投稿する日記を考えた。試しに、ほかのはてな匿名ダイアラーが書いた日記の改編ネタに挑戦してみた。3ブックマークされた。続いて次の日記を考えた。「1日に2回も書く日記なんてあるのか」そう思いつつも、日記のネタを考えた。1日に何回書こうが、ここははてな匿名ダイアリーなんだから仕方ない。日記に反応して、一人言を投稿したり、更に疑問を投稿したりしている。「ダイアリー」なのに不思議な空間だ。本当に日記を書いたりしたら、「そんなことはチラシの裏にでも書いてろ!」と怒られてしまいそうだ。チラシの裏のスペースなんて、もうとっくに少なくなっているのに。

その日2回目の増田への投稿を済ませた。はてなブックマーク - 人気エントリーに載った。数十のブックマークを集めた。さすがに増田をチェックしている人は多いのか、反応が早かった。投稿した日記は普段自分のブログでは書かないような内容だった。相手のことを敬っているからこそ書けたことだが、それを実際に書いたら批判されるような内容だ。あえて、ごく一面だけを取り上げ、自分のブログでは書かないような内容に仕上げた。卑怯者だ。自分は卑怯者だ。「匿名」という言葉にしがみついて、普段は書かないようなことを書いたのだ。卑怯者だ。

ふと、周りの増田たちを見回してみた。「もしかしたら、この中にいる増田たちは全員卑怯者なのではないか?」自分のブログで堂々と日記を書かず、こんなところまで出張して日記を書いている。日記とは呼べないような日記を書いている。「匿名」を良いことに好き勝手書いている。こいつら全員卑怯者だ。増田は卑怯者の集まりだ。匿名で書けて、ある程度周りからも監視されている、こんな状況で書くのが好きなM系卑怯者集団だ。

そんなことを考えているうちに、自分が投稿した日記は流れていった。流れるのが速かった。あっという間に流れていった。自分だけいつまでも古いことを考えているうちに、周りから取り残されてしまったように感じた。時の流れは速い。ちょっと注目を浴びたからといって、何も変わることはない。皆、次の注目へと走り続けているのだ。スクランブル交差点の真ん中で、周りから指を差されて笑われ続け、そのまま皆が通り過ぎていく。そのうち信号が赤に変わり、自分だけスクランブル交差点に取り残されて、「バカヤロー、邪魔だ、どけ!」トラックの運転手からそんな風に言われる状況と同じように感じた。

周りから取り残されたまま、そこで立ち止まっていた。何日か経って、注目エントリにも載ったその日記は削除されたことにした。自分だけそこに立ち止まっているのが怖かった。自分も前に進みたかった。ここに、いつまでも影を残しておくわけにはいかなかった。誰かが見れば思い出す。あの時、周りから笑われていたあの瞬間を。

でも現実はもっと残酷だった。削除したことなんて誰も見ていない、注目もしない、気にもしない。もう、あの時の出来事は忘れていたのだ。また新しい何かを見つけてはそこに走っていく。ただひたすらと走っていく。あぁ、そうか。ここにいる増田たちはランナーだったのだ。ただひたすらと走り続けるランナーだったのだ。ただのランナーではない。ランナーズハイになってしまって、立ち止まることさえできなくなってしまったランナーズハイランナーだったのだ。そうか、それで自分だけここに取り残されてしまったのか。スタミナのない自分には、元からランナーになって走り続けることなど無理に決まっていたのだ。住む世界が違ったのだ。増田になんてなれなかったのだ。よくよく考えてみたら、「増田になりたい!」なんて考えたこともなかったことを思い出した。ただ雰囲気を味わってみたくなって始めただけのことを思い出した。ランナーになれなかったことで、特にショックを受けることなんて無かったのだ。今までみたいに、ゆっくり、歩いたり止まったり、戻ってみたり、走り出してみたり、そういう生活が自分に一番合っていたのだ。

戻ってみることにした。
「一度書いた日記を削除してしまった」、こんなことはいつものブログでならあり得ない行為だ。なぜこんなことをしてしまったのか。匿名だったからなのか。若気の至りだったのか。周りのペースに惑わされたのか。一瞬だけランナーズハイになってしまったのか。原因はわからない。ただ、削除してしまったことは事実だ。あり得ないことをした。最低の行為をした。ふと、周りの増田たちを見回してみた。「もしかしたら、この中にいる増田たちも全員そういう卑怯者なのではないか?」そんな風に一瞬考えたりもしたが、もう大丈夫だった。増田たちがそんな卑怯者のワケがない。「削除した、書き換えた、改竄した」そんなことをしても匿名のこの世界ではたいした意味を持たない。新しいものにのみ価値があり、古いものには価値がない。この世界では、古くなったものをこっそりと作り直したところで誰も見向きもしないのだ。愛情込めて作り上げたものを、ちょっとずつちょっとずつ修理しながら、愛着を持って使い続ける。そういう古き良きものを大事にする精神は、この世界には存在しない。古いものには見向きもせず、新しいものにしか注目を求めない。古いものを修理するくらいなら、リニューアルリリースして周りの目を引くのがこの世界だ。誰も昔の日記を読み返したりはしない。ただ新しい日記を書くことにのみ価値があるのだ。

自作自演をしてみようとも思った。自分の名を明かしてみようとも思った。でもやめた。そんなことをしても面白くない。「匿名」という縛りがあるのなら、そこには暗黙のルールがあるのだろう。ルールを破るのは好きじゃない。なぜなら、ルールは守るタイプだからだ。

今度は匿名ではなく、「多分同じ人がずっと書き続けているのだろう」という信頼だけで成り立っている、自分のブログに投稿してみることにした。それがこれだ。